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シュリーマン旅行記 清国・日本(1)

シュリーマン旅行記 清国・日本(1)

2013.9.27

1865年4月20日。
北京を訪れるために上海から天津行きの船に乗る。
途中「烟台」(山東半島東部に位置する港湾都市)に立ちより数か国語を自由にこなすトーマスと言う税官吏に知遇を得る。


トーマスは宣教師であったが俗世の誘惑に負け報酬の良い税官吏の道を選んだと非難している。
なぜ外国人が税官吏をしているのか?
次の記述にある。

1860年、英仏と清国の間の条約で清国が賠償金を支払うまで外国人を税官吏に登用する事に合意した。


この条約はアロー号事件をきっかけとした天津条約の履行を迫り起こった戦争の結果結ばれた北京条約だろう。
何れも不平等条約で清国に対し莫大な賠償金支払い義務が発生した。
そもそもアロー号事件そのものが英国の言いがかりのようなものであった。
シュリーマンは鋭い視点で外国を分析しているが、そう言うところは興味がないようだ。
しかし万事塞翁が馬と言おうか・・・外国人を税官吏にした途端、税収が跳ね上がった。

英国人ハート氏はレイ氏の後任に税関の長官に任命された。
彼は天才的な行政手腕で中国人税官吏の時の4倍の税収を挙げた。
清国政府は彼に報いるためにシナの税関に関するすべての権限を与えた。


しかし愚かな判断である。
金のために国家が国家であるための基本的な権利を外国人にゆだねてしまう。
まあそう言う事はシュリーマンには興味がない。
いかにシナの税官吏役人の不正が凄まじかったかと言う事に驚いている。
なにせ4分の3の輸入物の関税を見逃し賄賂を得ていたのだから(笑)
ほどなく天津についた。

私はこれまで世界のあちこちで不潔な街を観てきたが、とりわけ清国の街は汚れている。
しかも天津は確実にその筆頭に挙げられるだろう。
町並みはぞっとするほど不潔で、通行人は絶えず不快感に悩まされている。


4月29日北京に向かう。
乗り物は2頭のラバが曳く2輪馬車。
これがショックアブソーバーも無く、すこぶる乗り心地が悪い。
シナ人は頭がおかしい人種だろうと文句を言っている。

北京につく。
城壁の壮大さに感嘆の声を上げている。
シナに来るまでにマルコポーロの見聞録などを読み、胸を躍らせながら城門をくぐったが期待は見事に裏切られた。

私は城門の内側で素晴らしいものに遭遇できると思っていた。
しかしそれは酷い間違いだった。
北京には荷馬車曳が泊まるゾッとするくらい不潔な旅籠をのぞけばホテルと言うものはない。


やむなく仏教寺院に宿を求める。
坊主たちは商売慣れしており12フラン要求されたが値切って半額に負けさせたとある。

翌日、北京の街の見物に・・・道幅の広さと汚さと乞食の多さに驚く。

ほとんどどの通りにも、半ばあるいは完全に崩れた家が観られる。
ゴミ屑、残滓、なんでもかんでも道路に捨てるので、あちこちに山や谷が出来ている。

シナ人が道路にごみを捨てるのは3000年以上前「商(殷)」の時代からの習わしだ。
「商」には「道路に灰を捨てたものは斬る」と言う法律があった。
「商」の法律であったかどうか?失念したが、法律は少ない方が良いと3か条しか創らなかった「王」がいた。
その中の一つに「道路に灰を捨てたものは斬る」と言う法律があったのを覚えている。
3か条しか作らないのに「道路に捨てるな」・・・よほどシナ人は昔からゴミを道路に捨てみなが迷惑していたと言う事だろう(笑)
それが3000年以上たった現在でも改善されていないのだから・・・。

飢えた犬がクソ集め人夫の目を盗み、自分の糞や馬糞を喰っている光景にも出くわす。
さらに首に1.33m四方の板を嵌められ手を固定された罪人にも。
罪人
こんな風であろうか?

罪人は食事が出来ないので通りすがりの人々に声をかけ食物をめぐんでもらい、ついでに食わせてもらう。
罪人はその恰好で自由に移動が出来ると言っている。
罪状によりその恰好でいる期間が違う。
しかし余程でなければ生き延びるのであろうから、シナ人の優しさが良く解る。
悪魔のような所業もするが、そう言う優しさもある。
敗戦時に残留孤児となった日本人の子供を我が子のように育てたのもシナ人だ。

その後「纏足」に驚き、シナ人の賭け事好きにも驚いている。
紫禁城と韃靼街の朽ち果てた城壁を観て、ラマ寺院に行く。
そこでシナ人への感想を述べている。

途方もない費用をかけ建設したこの壮大な建築物を、今や頽廃し堕落した民族が崩壊するに任せているのを目の当たりにするのは、実に悲しく心痛むことだ。
もし寺をきちんと保ち、美しい姿を後世に残そうと思えば、それぞれの寺に常駐の職人を2人もおけば十分だったろうに。
清国の君主たち、また民の愚かさ加減、意気阻喪ぶりは、自分たちの神々の聖堂、栄えある祖先の建てた偉大な建造物を崩れるがままに放置したさまに遺憾なく表れている


その後、芝居見物をし不潔な食堂で食事をして帰宅する。

翌5月2日長城を観るため古北口に出発する。
本格的な北京見物は長城を観てからにするらしい。

以上でだいたい清国の記述の半分です。
続きはまたの機会に。

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