朝貢ですから 友好の時代に思いはせ 21世紀の朝鮮通信使 岡山
2013年4月28日朝日新聞
江戸時代に来日した「朝鮮通信使」がたどった道を歩く「21世紀の朝鮮通信使 ソウル―東京 日韓友情ウオーク」の一行が27日、瀬戸内市牛窓町を訪れた。
日本ウオーキング協会と韓国体育振興会、朝鮮通信使縁地連絡協議会の主催で、2007年から始まり、今回で4回目。
(以下略)
http://digital.asahi.com/area/okayama/articles/OSK201304270078.html
朝鮮通信使が友好の使者ですか
朝日新聞の記者は朝鮮人?息を吐くように嘘を吐きますね(笑)
朝鮮通信使は徳川幕府に朝貢に訪れていたんですよ。
秀吉のように朝鮮を攻められては困りますから(笑)
徳川幕府も最初は自分の方から声をかけたがたいして興味もなかった。
各藩が勝手に貿易をされては困るので幕府が担当しただけですな。
その証拠に江戸城入城の際は身分の低い武士の使う通用門を使用していましたから。
とても一国の使者の扱いではなかった(笑)


通用門からの入城ですね・・・身分の高いものは左上のような楼閣のある立派な門から入城する。
それにしても朝鮮人は当時から下位のものには「尊大」で「盗み癖」があったんですね。
木端役人が何も言えないことにつけ込みやりたい放題ですね。
食事を出せば蒔絵の食器を盗む。
夜具まで盗む・・・どうやって隠すつもりだったのかな?(笑)
道中では民家の鶏ほかを盗む。
下女を強姦する・・・まあこれは古よりの国技だから仕方ない。
相当数の婦女子が強姦されたんでしょうな。
>江戸時代を「探検」する』』 山本博文 新潮社より、
「通信使の随員の中には、段々と尊大な行動をする者も現れた。出船の時に、前夜 出された夜具を盗んで船に積み込んだり、食事に難癖をつけて、魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求したりというような些細なことから、予定外の行動を希望し、拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかけたりするようなこともあったという」
>「日本人のことをそのように言うが、韓半島人も、食事の際に出た飾りの品々(食器など)を持って帰っているではないか。これをどう思うのか」 と言い返しました。
(中略)
鈴木伝蔵に痛いところを突かれた崔天宗は、身に覚えがあったからでしょう頭に血が上り、人々が見ている前で、鈴木伝蔵を杖で何度も打ちました。
(以上下記より引用)
http://kokis.client.jp/noby/n45_tushinshi.html
下級武士が注意すると逆切れして杖で殴った・・・これも現在の朝鮮人と同じですな。
今でも「議論」に負けそうになると相手を殴る(笑)

朝鮮通信使鶏泥棒の図(白昼盗みを働き町人に咎められている)
まあ当時の朝鮮人など土人ですからね・・・今でも土人だから変わらんか?
江戸や大坂の賑わいには目を剥いて驚いたようですね。
日東壮遊歌―ハングルでつづる朝鮮通信使の記録 (東洋文庫)にはこう書かれています。
●1764年1月22日 大阪
100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、 銅の屋根で、黄金の内装だ。
この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。信じられない。
支那の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の1万倍の発展だ。
北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」 と言っている。
穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。
●1764年1月28日 京都
街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。
この犬のような倭人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。
●1764年2月3日 名古屋
街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。 凄い。
自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ、この旅で最高だ。
中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。
人々の美しさも最高だ。
特に女性が美しい。 美しすぎる。 あれが人間だろうか?
「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、名古屋の女性と比べれば、
美しさを失うだろう。
(帰路にて)
名古屋の美人が道を歩く我々を見ている。
我々の一員は、名古屋の美人を一人も見逃さないように、頭を左右に必死に動かしている。
●1764年2月16日 江戸(東京)
左側には家が連なり、右側には海が広がっている。
山は全く見えず、肥沃な土地が無限に広がっている。
楼閣や屋敷の贅沢さ、、人々の賑わい、男女の華やかさ、城壁の美しさ、橋や船。
全てが大阪や京都より三倍は優っている。
この素晴らしさを文章で表現する事は、私の才能では不可能だ。
女性の美しさと華やかさは名古屋と同じだ。
(下記より引用)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1677.html
昔から朝鮮人の事大主義は変わりませんね。
日本の京や江戸・大阪の繁栄に目を剥いて驚き宗主国様の北京すら敵わないと言いながら・・・。
日本人の事を・・・穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間・・・だと蔑んでいる。
未開の土人が超先進国の人間に対し負け惜しみも良いところですな(笑)
朝鮮人が糞尿にまみれた生活をしているときに江戸には水道が完備され、人々は水をふんだんに使う清潔な生活をしていましたからね。
この施設は古代ローマと匹敵する、当時としては世界一の水道設備ですから。
英国のロンドンにも水道設備がありましたが江戸のそれに敵うものではありません。

6つの上水が江戸市民の生活を支えていた。

今に残る玉川上水の一部。

当時の木製給水管

当時の水道管理事務所・・・残っているのがすごい。
さらに京や名古屋の女性の美しさに目を奪われ土人たちは・・・右を向いたり左を向いたり。
テニスの観戦じゃないんだから(笑)
朝鮮女はよほど酷かったんでしょうな・・・まあ100年以上たった併合後でもこれですから(笑)

街は発展し女性は清潔で美しい・・・まるで天国のようだと。
しかしやはり身の程を弁えず、盗みを苦にしない朝鮮人です。
>この犬のような倭人を全て掃討したい。
>この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。
などと物騒な事を(笑)
1910年には自分たちが日本国天皇の徳に与ることになるのも知らず(笑)
でも結局、土人には日本国天皇の徳も届かなかった。最後まで「礼節」は覚えませんでしたね・・・。