崇礼門の復元仕上げ…来月4日、国民のもとに=韓国・ソウル
2013年04月29日08時35分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
この日をどれほど待ったことか。“国宝1号”崇礼門(スンネムン)が再びたちあがった。2008年の火魔で消え失せてから5年3カ月ぶりだ。28日、復元工事の詰めの作業が真っ最中だ。
新しく生まれた崇礼門は、伝統方式の復元原則により、瓦や顔料などを朝鮮初期の原形に最大限近づけた。東に53メートル、西に16メートルまで達する城郭を復元し、城門の外(ソウル駅方向)には通行路や広場を設けた。
韓国文化財庁は30日までにすべての工事を終え、来月4日に竣工記念式を行う。

新崇礼門
やっと完成しましたか。
色々と紆余曲折がありましたね。
伝統工法に則り、伝統的な材料を使い復元すると政府が約束した。
それがまずかったですね・・・何にでも事大するから5年3か月も。
そもそも韓国には日本の宮大工のような集団はいない。
電動工具しか使った事のない、その辺の大工に伝統工具を使えと言っても使えるものじゃない。
そのために工事は遅々として進まず人件費ばかりが浪費されていった(笑)
人件費のために伝統技法が危機? 国宝修復のジレンマ=韓国
2012年01月23日10時00分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
5日午後に立ち寄った国号1号崇礼門(スンレムン)の復旧工事現場。年内に工事が完了する予定だが、現場では石を叩く音も木を削る音も聞こえなかった。石職人は寒い天気のため観覧客が訪れる週末だけ仕事をするという。さらに木工工事は1カ月前から中断されている 天気ではなく木工職人らの「労務賃」のせいだ。
事情はこうだ。文化財庁は火魔の犠牲になった崇礼門を伝統技法で復元している。機械を動員すれば文化財工事と通常の建設現場に違いはなく、昔の方式を使ってこそ伝統技能も伝えられるという理由だった。十分に拍手を送るほどの決定だった。
(中略)
文化財庁崇礼門復旧団のイ・ジョンヨン事務官は、「文化財工事は一般建築工事とは当然異なる。原則的には伝統技法を使うべきだが以前は現場で機械を使い比較的簡単に金を稼いでいた。職人らが使い慣れた電動工具の代わりに熟練度が落ちる伝統道具を使うことにより起きた問題だ。
http://japanese.joins.com/article/608/147608.html
結局、電動工具を使ったんでしょうね・・・国民には内緒で(笑)
国民は政府以上に身の程をわきまえずに朝鮮文化に事大しますからね。
電動工具など使ったことが判れば何を言われるか(笑)
伝統技法と言いながら、色彩のための顔料や木材の接着に使用するニカワは日本製に。
そもそも顔料は最初から朝鮮にはない・・・だから焼き物も青磁器しか造れなかったんですな。
李朝の色彩はすべて中国や中央アジアなどからの輸入品ですね・・・両班の着衣も中国から生地を輸入していた。
ああついでに「針」も輸入していた・・・針も造れなかった。

色彩は日本製だが・・・プライドは?
ニカワは朝鮮文化の中ではとっくに廃れてしまった。
なにせ階級社会の韓国では職人の身分が大変に低い・・・跡取りなど断る!みんな会社員になるニダ!
事大主義の国民やマスコミからは当然に非難の声が上がる・・・顔料もニカワも日本製で伝統技法で復元したと言えるのか?
中国製なら良かったんでしょうが・・・日本製は罷りならん(笑)
マスコミも事大し、急がずしっかりと復元をなどと言ってますが日本製を使うしかなかった(笑)
【社説】崇礼門、竣工を急がずしっかりと復元を=韓国
2012年10月07日12時14分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
当初韓国政府は2008年に火災で焼失した崇礼門を伝統技法を使って復元すると約束した。だが、現実には到底できる状態ではなかったことがわかった。にかわの場合、伝統技法での復元を試みたが失敗し日本産を使った。丹青作業に使われた顔料は10種類のうち9種類が日本産だ。韓国産製品だけでは初めから復元が不可能だったことになる。
http://japanese.joins.com/article/827/160827.html?servcode=100§code=110
韓国産製品だけでは初めから復元が不可能だった・・・。
キミ達は工事を始めて4年も経たないとその事実に気が付かないのか?
伝統工具を使える大工がいなくても・・・。
顔料が造れなくとも・・・。
ニカワが造れなくとも・・・。
普通は先に調べて・・・工法をどうするか決めませんか?
このようなケースは「国璽」でもあった。
伝統的な「国璽」を造れる職人が途絶えてしまった。
日本の国璽は明治以来使っていますから、まあそんなに度々作るものではない。
しかしいざ造るとなると日本にはいくらでも職人さんがいる。
韓国にはいないんですね。
だから・・・05年には”国家記録院は1948年8月の大韓民国政府発足直後から1962年12月31日の間までに、国璽を使ったことのある人を(賞金をかけて)捜している。
使ったことのある人・・・1962年まで使っていた「国璽」がどう言うものか形が解らないんですな(笑)
写真くらい撮ってそうだが?・・・まあ韓国ですから。
民間から探し出してやらせる・・・多分に自己申告で(笑)
韓国の「国璽」は建国後65年しか経っていませんが5代目です・・・日本は明治以来・・・さっき言ったか?
紛失や強度不足や造りが雑で使用に耐えなかったり・・・それにしても国璽だぞ?
紛失ってなんだ!(笑)
造りが雑だったり強度不足は・・・自己申告者を採用するからですな(笑)

4代目国璽・・・見るからに雑ですね。台座に隙間がある。
この4代目「国璽」は自己申告者に造らせましたが、韓国らしい微笑ましいエピソードも。
制作者の閔某は伝統技法も知らない真っ赤な偽物で、そのうえ材料の金を余らせて横領した罪で逮捕されました。
まあ材料を余らせたと言えば聞こえは良いが、金以外の金属を使ったと言う事でしょうな(笑)
それでこの4代目は哀れ破棄される運命に・・・強度不足でひびの入った3代目をレーザー溶接してリリーフ登板させた。
何の話だった?
そうそう「崇礼門」でしたね。
つまり韓国人は伝統に事大するが韓国には伝統職人と言うものは絶えて久しいんですね。
いえ日帝のせいではありません。
最初から鉄筋コンクリートで造れば早いし安上がりだった。
前例だってあるんですから。
しかし伝統に則って復元するなら写真は少し違うと思うが?

これが伝統的「崇礼門」

城壁だってこんなものです。
今は立派なコンクリート製に・・・伝統は?
日帝が現在の形にした。
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日帝残滓だが?・・・良いのかな~。